現在(アル中克服へ)

通院|6回目

昨日医者に行った。
もう、僕自身でやめられる気がしている。

 

いつもの流れで診察室に入った。

いつものやり取りを実施したあと、気になっていたことを質問した。

 

”酒は百薬の長”という言葉があり、少量ぐらいは飲んだ方が良いというのは、どうなんですか?
Dio

 

最終的に、もう飲まなくて良いんだという確証が欲しかったのだ。
本当のところを知りたいと。

 

先生
実は、その話は1970年代に出た話なのですが、その後、公式に否定されてます。
理由としては、”飲んでいる人”と”飲んでいない人”に大別した際、”飲んでいない人”の群に”過去にアル中になって禁酒している人”が含まれていたのです。
その人たちが疾患の割合を上げた結果、”飲んでいる人”の群の方が数値が良くなった、良く見えただけだったのです。
今となっては、飲めば飲むほど、人体に与える影響は右肩上がりだという結論に至っています。

 

安心した。

自信が確信に変わった瞬間だった。

同じ頃、アレンカーの「禁酒セラピー」という本を読んでいたのだが、アレンカーの考え方と”先生”の言っていることが合致した瞬間だった。

 

”もう二度と飲めない”。。。。

 

ではない。

 

”もう二度と飲まなくて良い”

 

なのだ。

 

飲んでいる人達は、”普通のドリンカー”と”アルコール依存者”がいる。

でも、果たして”普通のドリンカー”は幸せなのか?

自分が酒をやめると自分だけ損をした気分になるのか?

 

違う。

 

ただ、症状が、深刻か深刻じゃないかの違いであり、酒を飲む人は、人体に与える影響の右肩上がりの曲線(あるいは直線)上のどこかにいるだけである。

 

やめた僕の方がよっぽど羨ましがられる存在だ。

 

Dionysosになった瞬間だった。

 

実は、このブログを開始してからついに、ほぼリアルタイムの投稿に追いついた。

最初の構想だと、このリアルタイム投稿(断酒との闘病録)を書き続けて、皆とつながろう、苦しみを共有しながら、乗り越えて行こうと思っていた。

 

っが、僕はもう大丈夫だと思う。

結局ほとんど誰にも見てもらえなかったが、ブログというツールには感謝しかない。
おかげで気持ちの整理は十分にできたし、ブログを立ち上げ、モノにしていくプロセスの中で、いろんなブログに出会い、本に出会い、その中からヒントを得て十分に回復した。
そしてもうお酒は飲まなくて良い。

 

飲んで幸せを感じるのは、飲むことが幸せなワケではなく、飲むことで不安が取り除かれている(臭いモノに蓋をしている)だけで、幸せなんてものはこれっぽっちも貰えていない。

そして、飲んでいる間は感覚が麻痺しているだけなので、何も感じていない、何も生み出さない、全ては妄想であり、時間の浪費。

飲んでいる暇はない。
(飲んでいるときに実行したことは幻だ。)

 

マイナスの感情、僕の辛いことを共有して、傷をなめあっていても、何も解決しない。

もう、その感情(辛いことを共有したい)もない。

 

酒をやめることで気づいた。

やめることではじめられる。

 

大きいコトをやめれば、大きいコトを始められる。

 

限りある人生をより豊かにするコトを”はじめる”を応援し、「何かを始める時のコツを研究するブログ(はじめる:hajimeru)」を立ち上げ、僕の今までの経験とこれからの経験を社会貢献に活かしたいと思った。(はじめることはやめること)

新しいコトをはじめることのコツを研究し、はじめるコトが出来る、平凡な日常を少しずつでも変えていき、実り豊かな人生に変えていけるコツをとことん追求し、それを還元し、誰かの一助になれば良い。
僕自信も挑戦し続ける。

 

マンダラートで目標もしっかり定めてから次の一歩だ。

 

このブログはしばらく凍結する。

 

さぁ、新たな人生を、はじめよう。

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