今までの人生、大げさかもしれないが、自分の意志で変えられないモノはあまりなかった。(という風に思い込んでいるところはあるが、、)
タバコも自ら止めた。
”有言実行”という言葉があまり好きじゃなかった。
わざわざ言わなくても自分で決めれば良いだけという考えだ。
でも、そんな持論も崩壊した。
自分でやめられない。
今から2年ほど前のこと。
謎の”宣誓”を自ら実施した。
妻の誕生日に、
「今年の誕生日プレゼントは・・・」
「何??」
「平日、家で酒を飲まない(飲み会・接待日を除く)!」
「凄いじゃん!でも、休日は飲むってこと?」
「まぁ、平日の疲れを癒すために・・・、でもこれでも大きな進歩かと。」
「ふーん。わかったー。」
酒の飲みすぎで妻から責められる日々が増えてきたのが理由でもある。
妻は、それなりに納得していたようだ。
今まで、ケガや病気(特にインフルエンザ)で酒を数日飲まない日はあったが、それ以外の理由で酒を飲まない日を送るのは、十数年振りだ。
当時、飲み会と接待が多い環境だったので、平日は2~3飲まない日があるぐらいだ。
それでも常駐飲酒が止まる日々に不安を覚えつつも、最初の挑戦は始まった。
出だしは順調。
人に宣言までして、そもそも約束を守るのも嫌いである。(当たり前か)
しっかり、飲まない日を作っていった。
なんだか少し変わったと思う自分(自分に打ち勝ったという錯覚)に陶酔しながら、これで普通!?の”酒飲み”になっていけると、凄いもんだと。
やはり、僕は自分で決めて、人にも宣言すれば、大丈夫。約束は守るものだ。
・・・
そんな簡単なモノではなかった。
そんな自分に陶酔しているのも束の間。
アルコールの力は恐ろしい。(やっぱり、脳の奥底に何か作用しているのだと思う。)
まずは、飲む日(つまり飲み会や休日)の飲酒量が著しく増えていく。
飲むと決めた日はとことん飲む。
飲み会のあとも、地元の駅につき、地元のいけつけの焼き鳥屋に行ったり、家路につくまでにハイボールを買って、歩きながら飲んだり。とにかくギリギリまで飲むことになっていく。
”家では飲まない”という約束は守ろう。
だから、家に帰るまであれば良いのだ。という言い訳!?を自分で捻出し、飲み会の後には、家につくまでにどこかで何かを飲み続けるという行為に走り始めた。
休日は、それこそ、
「解禁日だ!」
ということで、”平日は飲んでいないのだから”という理由で、昼から飲むこともあった。
平日飲んでない分、許してくれという論法だ・・・
確かに、飲み会のない日は飲んでなかったので、自分の中でも大きな進歩だから許してくれという思いはありつつも、飲み会の日はコソコソ地元で飲み続けているので、1週間の飲酒総量は変わっていなかった気もする。
ただ、常駐ではなくなった分、脳が復活(アルコールを飲んでいない状態が普通)していってくれているだろうという考えもあった。
順調に始まったかに見えた、節酒生活。
しかし、そんなに甘くない。
では、アディオス。