”宅飲み”が少しずつ始まった。
でも、初期の頃は、兄と一緒にという感じだったことを覚えている。もちろん、毎日ではない。
とは言え、結局は、まだまだ20代そこそこの若僧である。ビールは好きじゃなかった。苦くて美味しくない。なんとなく、”フワっ”とした感覚が気持ちよくて、楽しくて、チューハイを中心に飲んでいた。
お酒を覚えたての人によくある、ジュースを少し超えた飲み物、ジュースと似た味がするけど、アルコールも入っている。逆に、少しアルコールが入っている味(ジュースとの違い)に違和感を感じながらも、”フワッ”っとした感覚を求めて飲む程度の話。
味はチューハイが好きで、チューハイを中心に飲んではいたのだが、たまに手を出していたのが、ZIMAやSMIRNOFFだ。なんだか格好良かった。
なんだろう、皆もわかってくれると思うが、西部劇に出てくるアメリカ俳優になった気分とでも良いのだろうか、アメリカンなデザイン(勝手なイメージ)と瓶の形状が独特の格好良さがあるのだと思う。
おもむろに冷蔵庫の中から瓶を取り出し、友人に投げて(クルクル回しながら)渡す。受けとった友人は「Thanks」などと言って、歯で瓶の栓を開けて、栓を吐き出し、豪快に飲む。「Hey guys!」っとハイタッチしながら楽しむ。こんなイメージを想起させてくれる。
現実の僕は、チューハイより味に癖を感じてたため(当時の私の感覚)、豪快に飲むこともなければ、アメリカ人より歯の弱い日本人(特に僕)は、冷蔵庫からひっそりと取り出し、栓抜きで開けて、栓をゴミ箱に捨てて、ポテトチップスをつまみにテーブルに座って飲む。
唯一、瓶を片手で飲んで飲むところは一緒であり、その瞬間だけ俳優気分だったのかもしれない。そんな時に限って、ほろ酔い気分で外に出てTSUTAYAにアメリカ映画を借りに行ったりしていた。
”宅飲み”中の外出、つまり、”宅飲み”をしていたつもりが、用事があって出かける・追加のツマミや酒を買いに行く、ほろ酔いで靴を履き、玄関を出て少し歩きだす。普段は見もしない夜空や遠くのネオンに目をやると、なんとも言えない解放感となぜか幸福感に包まれる時がある。
実際には、飲む前と飲んだ後では何も変わってない。幸せなことがあったわけでもなければ、自分自身に何か変化があったわけでもない。答えは一つ、ただ飲んだだけ。(「飲んで気が大きくなってやってしまいました。」的な問題をよく耳にすることがあるが、この手の作用が悪さするのだと思う。)
一つ一つの積み重ねがアルコール依存症への道の一つの要素な気がするが、長きに渡る苦しみにつながっているとは、当時全く思っていない。(考えてもいない。)
では、アディオス。