前回でのブログでも書いていたが、酒飲み(一人飲み)は続いていた。
そんな折!?、大学から数年付き合っていた人と結婚することになった。
もちろん、僕が酒を大量に飲むことは知ってはいる人だった。
だが、長年の付き合いはあるものの、毎日飲むまでは知らなったのだと思う。
また、彼女にとっての大きな環境変化もあった。
僕の就職先(場所)の都合でもあるが、見知らぬ土地に嫁いでくることになったしまったのだ。
土地にも慣れない。友達も近くにはいない。
旦那は毎日飲んでいる。
家で飲んでいるか、外で飲んでから帰ってくる。
いつしか、我慢の限界が来たようだ。
もう、ここには居たくない。
大学時代の場所(彼女の実家の近く)に帰りたい。
揉めに揉めた。。。
僕の感覚として、”一度男が決めた就職先を変えるなんて!!”という、いかにも昭和な、、、”Not欧米な感覚”が強くあったからだ。
今の時代、転職にそこまで抵抗はないと思うが、当時の環境および僕の考え方だそうだった・・・
っが、最後は折れた。
転職した。
そして、結局は続かなった。
最後は酒のせいというより、大きくは”正確の不一致”だったと思う。
数年付き合って結婚したわけだが、今でも思い出す言葉は、
①「あなたが問題なく付き合っていると思っていただけ。」
②「私が我慢していた。」
③「どうして毎日飲むの?」
①②衝撃的すぎて、何も言えなかった。
「そりゃねーぜ。」というのが僕側の感想だが、彼女にも主張はあり、相応のすれ違いがあったのだと思う。
③好きで飲んでいて何が悪い。
何か迷惑かけたか?
僕は一応、飲んでいる時の”質”は良いはず。。
※当時の僕の持論だが、今思えば、酒を飲むことの正当化でしかない気がする。
酒が原因で離婚する人はたくさんいるだろう。
言い訳はしてみたものの、
僕も50歩100歩で変わらない部分はあったのだと思っている。
僕の”離婚劇”を簡単に書くと上記の通りなのだが、何か決定打(不貞)等があったわけではなく、”正確の不一致”にも関わらず、調停までもつれ込んだ。。
金もなかったため、弁護士も立てられず(向こうは親の力で弁護士付き)、相当な体力と精神力がかかった。。。
調停に決着がついたころには白髪も増え、、最後の調停の帰りの電車の中で人知れず泣いた・・「疲れた・・」の一言に尽きる。
20代中盤のころの話である。
このブログの反響があれば詳細は書くかもしれない(離婚にまつわること。助けて・支えてくれた人たちとのこと。調停とはどんなモノで、弁護士なしでどうやって調停を乗り切ったかについて書くことで皆の役に立つのであれば)が、今回はこの程度にて。
”酒は百薬の長”
っと、自分に取って都合の良い言葉をチョイスしながら、人生躓(つまず)いているわけなので、しょーもない。
”百害あって一利なし”
っが、本当のところなのかもしれない。
では、アディオス。